ちょっと重い話をしますね。
実は・・・6月末にプニケとかPIOの東方系イベントに参加してたんでその事書こうと思ってたんだけど。アリスダヨーさん書いた事とかね。
その翌日の7月1日、お婆ちゃんが亡くなったので更新どころではなかったのです。
喪中という事で今年は暑中見舞いとか来年の年賀状とかご遠慮願いますね。
何そのさらっと話す重い話!
いやー喪中は喪中って一応書いとかないと。
ただ年賀状としてでなくても…賀正とは掲げられなくても、なんか絵は描こうと思う。
きっとおばあちゃんも我輩が我輩らしくしてる事を望んでるだろうから。
いい話っぽく言ってるみけど、ばーさんが亡くなりそうだってのにイベント行くとはなんて男だみ。
うん…いや、亡くなる前日まではそれでも意識もはっきりしてたんだよ。だからまさかそんな事になるとはなあ。
というか94くらいまで足腰も丈夫で2階で寝泊りしてて夜中に階段から落ちて入院したんだけど、誰もがもう立てないだろうとか思ってたのにまた自分で立てるようになったりとかね。
さすがに2階に寝かせるのは危ないから1階で寝起きするようになったんだけど、何かこう、話があると2階まで上がってきて我輩に話をしたりとか、もう鉄人とかサイボーグおばあちゃんとかいう呼び名がぴったりするくらいの人だったのよ。
実際去年の冬まで痴呆もせずにうちで暮らしてたくらいだったし、毎朝玄関まで出て出かける我輩を見送るのが日課だったし、そうしてるうちはお婆ちゃんも大丈夫って我輩も思ってた。
それは確かにすごいばーさんだみ。
「思ってた」って事は…
まあ色々あってうちを離れたとたん肺炎起こして入院して、それからはゆっくり弱っていったのよ。でも、それでも半年で亡くなるとは思ってなかったなあ。
こういう考え方が嫌いな人もいるかもだけどやっぱり家にいる事自体がおばあちゃんには大事な事で、ご先祖様や亡くなったおじいちゃん、家族の愛情がおばあちゃんに力を与えて、支えて、守っていたのかもしれないなって。
そう思うと確かに後悔する気持ちもあるんだけど。ぶっちゃけ葬儀終わった後はボロボロ泣いたけど。
さっきも言った通り嘆いてもやはりお婆ちゃんは喜ばないと思う。生きている者は明日を見なきゃいけないのだと。
そんな思いを込めてこの夏頑張った事が次の日記です。
だから重いっつーんだみよ。