「ラジオ会館さよなら!!メッセージ」書いてきた

秋葉原のラジオ会館。
変わりゆく街並みの中で、その電飾の効いた古臭い黄色い看板は昔ながらの秋葉原の面影を残す数少ない存在の一つと言えるでしょう。



このビルが老朽化などの理由で都から建て直しを言い渡されたのが確か去年の話。
最近のアキハバラに通ってフィギュアなど目当てに通っていた諸氏は反対を唱える人の方が多かっただろうし、勿論我輩もその一人。

だけどこの階段に無数に走るヒビと修繕跡…東日本大震災によって負った無数の傷痕により、ラジオ会館は建て直しの必要性が裏付けられてしまったのだ。


なんだかんだ言っても、やはりラジオ会館はもう限界ギリギリなんだと思ったよ。
人間で言えばおじいちゃんだ。我輩はこう見えてもお年寄りは大切にする性質なので無理に働かせるのはかわいそうだ、とは思うんだよね…


志郎は時々都のえら~い職についてる老人に物凄い暴言吐いてるだろみ。

あれは敵愾心を刺激する事ばかり言う方も悪いだろ!ラジオ会館建て直しだって最初はオタ締め出しの嫌がらせとしか思えなかったくらいだしな!

で、そのラジオ会館がこの夏取り壊される事になり「ラジオ会館 さよなら!!ウォール」というイベントを始めたので、我輩土曜日朝イチで行ってきました。



なんて書いたの?

いやそれは…字が下手なので書いた言葉は写してないけど。
ちなみに書き込んだ直後にまたかなり大きな地震が発生したので、「我輩…このビルの中で死ぬかも…」とか本気で思ったり。


会場には建築当時のラジオ会館のスチール写真など飾ってあり、当時は恐らくその名の通りラジオなどに使う電子部品を扱うショップも多かったであろう雑居ビルだった…のだろう。


 


 

できた当時とは店構え全然違ってるけどみ。

まあ、当時の面影のある店なんてごくわずかだし、スチール写真もほとんど最近のショップのしかなかったのだけど。





 
   


我輩の場合、子供の頃から秋葉原の「マイコンショップ」をゲームセンターがわりに遊び場にしていた事もあり愛着もひとしおなのだ。
当時は秋葉原のいろんな店で「ハノイの塔」とか既にBASICで作られていた「宇宙戦艦ヤマト」(スタートレックというタイトルでリメイクされたりもしてた)とか遊べる状態で展示してる店が多くて、そういう店を探し回ってたよ。

だからまあ、昔ながらの店と言ってもこういうショップには立ちいった事もないんだが…



あと子供の頃、7階の階段の先とか気になって登っていったりとかもしてた。先の扉は閉まってたけどね。


迷惑な子供だったんだんじゃないかみ。

ゲームセンターあらしでもマイコンで遊んでたら店から追い出される話とかあったぞ。

まあ本当のお別れにはまだ少し時間がかかるし、新しいビルになるのも2014年予定との事でずっと先になるのだろうけど。

新しいビルに生まれ変わったら恐らくもう「ラジオ会館」ではなくなってしまうかもしれないけど。

この黄色い看板の面影は残して欲しい、そんな気持ちを込めてお別れの言葉を刻んできたよ…


ただねえ…我輩が大切に思うのはラジオ会館ではなくて「ラジオ会館の思い出」なのかもしれない。
「これ以上秋葉原が変わって欲しくない」という気持ちはないわけではないし、アトレ秋葉原ができた時も素直に喜べなかったし…単なるノスタルジーで言ってるだけなのかも。

らいなは今のラジオ会館しか知らないからそういう気持ちわからないです。
でも、しろうは今のラジオ会館は嫌いですか?

そんな事はない、と思う。バリバリに活用してるし。
仮に我輩が子供の頃のままのラジオ会館だったとしても今以上に通う事はあり得ないだろう。




なくなって欲しくない、って思う気持ちがあるなら、それは今と昔がどうだろうと関係ないんじゃない。

みんなそういう気持ちがあるからたった2日でこの壁が言葉でいっぱいになっちゃったんですよ。


そうだな…この壁に描かれてる言葉はウソじゃない。我輩自身の思いもウソじゃない、よな。

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